文化・芸術

熊田千佳慕さんの世界

松屋銀座で開催されている熊田千佳慕さんの展覧会に行ってきた。


この方の絵は雑誌か何かで見たことがあり、お名前も知っていたんだけど
その時は 「図鑑の絵みたい。あんまり好みではないな」 と思った気がする。

けれど、実際に膨大な数の原画と対面したら
好きとか嫌いとかのジャンルとはかけ離れた、珠玉のきらめきを感じた。

時間と手間と情熱をかけた作品の数々。
一言で言えば、「愛」

「愛」としかいいようがない。


作品もさることながら
千佳慕さんの遺された言葉に
はっとさせられる。


*

うそやごまかしがないように描くのは
小さな人に見てもらうため


できあがった絵は
それを描かせてくださった
神さまへのレポートなのです


自然は、自らの美しさを知らないから
奥ゆかしく美しい


私は雑草という言葉を使いません
どんな小さな花でも、みんな名前を持っていますし
どの花もそれぞれの美しさを持っているからです


私は虫であり、虫は私である
私は花であり、花は私である
そして自然は私のためにあり、私は自然のためにある


虫と花と対話して答えを待つ
そんな積み重ねが一枚となるのです


すばらしい生物画家になることより
虫や花たちの言葉のわかる画家になりたかったのです


自然は、美しいから美しいのではなく
愛するからこそ美しいのだ


見て 見つめて 見きわめて
私は心の目で、自然を描きたい

*


若かりし頃は、デザイナーとしても活躍されて
写真家の土門拳さんとは同僚だったらしい。

その後、挿絵や絵本を手がけ
70歳の時にボローニャ国際絵本原画展に入賞され
80歳を過ぎてから、さらに世界へと開かれていったそうだ。

学術書に掲載されるような精巧な細密画、というだけではない。
構図や色彩感覚、全体のバランスが絶妙で
職人技のようでありながら素晴らしい芸術作品。
いのちの営みや美しさに敬意を持って描かれ
爽やかで愛らしく、残酷でもある生を描き
それゆえ真の力強さが感じられる。

それでいて、作品の片隅に小さく記された「KUMACHIKA」という文字に
お人柄が偲ばれて、思わず微笑んでしまう。
千佳慕さんの描く作品は、やはり千佳慕さんそのものなのだろう。

たった一本の絵筆を使って、点描のように色をのせていく。
一枚の絵に一ヶ月、長いときは数年を費やすこともあったという。
描き終わると歯肉が腫れて、歯がガタガタになってしまうこともあったという。

愛するものを誠実に、忠実に、敬意をもって描いたにしても・・・
まさに骨身を削る作業だったということが窺える。


幼少時代から病弱で、家で過ごすことが多かった五郎少年こと千佳慕さん。

ファーブル昆虫記に夢中になって、庭の虫や草花に興味をもった千佳慕さん。


目の前のものをじっくりと見て、観察して、見極め取り組むことで
対象そのものに宿るいのちを細部まで具現化しようとした千佳慕さん。


きっとわたし、普段目に映るものって、見ているようで、見ていない。

見ようともしていないかもしれない。


作品を眺めながら、オーラソーマのマジェンタカラーを思い出していた。

神の愛は身近な小さきものに宿る。


大事なのは
どれだけ多くのことをしたかではなく
どれだけこころを込めたかです・・・


という、マザーテレサの言葉を思い出した。


「どこか遠く」ではなくて
自分のいる場所こそが世界であり、宇宙であるということを
改めて思い出すことができた。

*

展覧会2日目にあたる8月13日に
熊田千佳慕さんは突然亡くなられてしまった。

今回の展覧会の作品選定から配置など、準備を重ね
開催をとても楽しみにしていらっしゃったそうだ。

亡くなられてしまったのは残念だけど
寸前まで準備でワクワクされていたそうなので
きっと最期はしあわせだったのかな・・・


なんてことを知人と呑みながら話していたら

「そんなこと本人にしかわからないよ(笑)」

と言われた。


ふふ。確かに。

もっともっと、いっぱい描きたかったかもしれないもんね。

でもきっと、あちらの世界でも描きつづけるんだろうな・・・
 


あっ、それも本人にしかわからないか(笑)
 
*

美しく装丁された画集は、ページをめくるたびに幸せな気持ちになる。

大切にします。

ありがとう、千佳慕さん。

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ていぱーくへ行く

わたしって、昔からけっこう切手が好き。
可愛い記念切手が売っていると買ってみたり
素敵な絵柄のものは額に入れて飾ったりして楽しんだりしている。

と言ってもマニアックなコレクターでもなければ
ご丁寧にピンセットで扱うわけでもなく
きっかけは「小さくて可愛いもの好き」というところからなんだけど。

ということで、大手町の逓信総合博物館(ていぱーく)に行ってきた。

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建物全体としては、なんというか歴史を感じさせる渋い佇まいで
電信電話に関わる歴史博物館みたいな感じだった。

小学校の社会科見学気分を味わえて、案外勉強になるし
3階の資料室には、世界中の切手がいっぱい保管してあった。

つるこ興奮!!

国によっても絵柄やデザイン、色々あって楽しいんだよねー!

・・・でも閉館時間が迫っていたのでほとんど見れず・・・

他にも世界の電話や郵便ポスト、制服の展示もあったりして
マニアックな方にはたまらないかも★


わたしの目的は切手の特別展を見ることでした。

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「愛を奏でる切手のかたち」
というテーマの展示で
貴重な天皇家のご成婚記念切手や
世界の国々のロイヤルファミリーの切手
ユニセフにまつわる切手、看護週間、家族愛、人類愛、
自然や動植物への愛、などなど
様々な「愛」にまつわるエピソードから生まれた切手と
その原画(!)が公開されていた。

つるこウハウハです。
こういうの大好き。

もちろん絵画鑑賞は好きなんだけど
そういった芸術鑑賞とはまた違った感動がある。

切手という郵便ツールであり金券という実用的なものに
時代やテーマやエピソードが重なって、それでいて一枚の芸術品であるということ。
しかも、数十円払えば誰でも手に入れることができる親しみやすさ。
その一枚で、海の向こうにもメッセージを届けることができる可能性。


なんでこんなに熱く切手を語ってるのかよくわからんけど;

・・・えーと、とにかく海外旅行に行っても
その国の切手をお土産に買うわたしですから
やはり興奮してしまうのですよ。

過去に見たり使ったりしたことのある切手の数々や
その美しい原画の数々に対面できてすごく嬉しかったし

なにより今回の目玉は
「まぼろしの切手」と言われている作品(?)

昭和天皇皇后両陛下のご成婚記念切手。
しかし不発行なので、世に出回っていないのだ。

大正12年11月に予定されていたご婚儀が
直前の9月1日の関東大震災で延期となってしまい
印刷局や倉庫も焼失したため、切手も絵葉書もすべて燃えてしまったんだとか。
で、この難を逃れた分が、すでに南洋諸島に発送済の切手だけだったので
急遽その分が東京に返送されたらしい。
返送された分は皇室に献上されたため、やはり出回らず
今回展示の切手は至宝中の至宝なんだって。

ねー、切手一枚にもドラマがあるでしょー?
(ってあたし何者? 回し者じゃないですよ・・・)

今回、この展示も館内も「ご招待券」があったから無料で見れたし
そうでなくても、110円払えば入館できるというリーズナブルさ。

日によっては「絵手紙教室」があったり
「マイ切手作成」ができる企画があったらしい。

自分で描いた絵で切手作りたかったなー(゜▽゜)

ちょっと地味めなスポットかもしれないけど
何かの用事で近くまで行ったときは寄ってみるのもいいかも、です^^


ちなみに、郵便局で久しぶりに買った記念切手

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日本初、ホログラムを使った光る切手‥…━☆
オーロラだー♪

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岸田劉生展

週末、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館へ。

会期中ギリギリ間に合った「岸田劉生展」を観る。
岸田劉生というと、娘さんを描いた「麗子像」のイメージが強かった・・・
というか、麗子像ぐらいしか知らなかったわたしとしては
今回初めて知ることが多く、それだけでも行ってよかったと思う。


クリスチャンとして神を信仰し、牧師になろうとした時期があったこと。
一時期、集中して多くの自画像を描いていたこと。

身近な人々を片っ端からモデルに肖像画を描いて
「岸田の首狩り」なんて言われるほどに人物画に没頭していたこと。

わたしが好きな麗子像・・・
ケープを身につけて微笑む油彩の麗子像は展示されていなかったけど
他の麗子や、その友達の少女、今回初めて奥様の像を観ることができた。

初期に集中して描かれた自画像が・・・
試行錯誤しながら、短期間にあれだけ自分に向き合ったことに驚いた。
描かれた顔もご本人にそっくりで、確かな技術と観察眼を感じたけど
それにも増して、描き込むほどに真に迫っていく感じが伝わってきた。
友人知人の肖像画も、ご本人の特徴を捉えてよく描き込まれていた。

ただ写実的に「似ている」というだけではなくて
その人の内面まで引っ張りだされているような迫力があった。

岸田さんの描く自画像からは
自分自身の内面を深く探求しようとする勢いが感じられた。
彼がクリスチャンである、ということにも関わりがあるような気がした。

やはり作品には、その人の魂が宿るのだろう。

*

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美術館の展望室より
都会の真ん中に、うっすらと緑のオアシスが見えてます

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国宝 阿修羅展

東京国立博物館・平成館で開催されている
「国宝 阿修羅展」に行ってきた。

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奈良・興福寺の創建1300年を記念しての、今回の展覧会。
同寺の再建事業にあわせて実現されたという。
遥か彼方からの名宝を拝めることに、感謝。


奈良時代に使われていた杯や鏡、水晶や金の延板や
教科書で見たことのある和同開珎を間近で観る。

8世紀・・・

今が21世紀で、西暦2009年だけど
8世紀に作られて、当時700年代ってことでしょ?

展示されている品々を観ていると
その時代には既に、素晴らしい技術と文明が成り立っていたんだなぁ・・・
と思い知らされる。

高い美意識と、明晰な頭脳、優れた技術。
芸術家であり、職人でもあり、科学者だなと。

別に今現在の人間が優れているわけでも、進んでいるわけでもない。

むしろ当時の人々は
何も整っていないところから礎を築いていったんだからね・・・

いにしえの人々が遺してくれた品々から
当時の人々の思いや息づかいが伝わってくるような気がした。

*

会場を進み、八部衆(仏教の守護神)と十大弟子(釈迦に随った高弟)の像を拝む。

一体一体が、実に個性的に、表情豊かに存在していた。
一体一体を、じっくりと眺められることに奇跡すら感じた。

幾多の戦火をくぐり抜けて、そこに在ることに
「よくぞご無事で・・・」 と、お声をかけたくなるような衝動に駆られた。


それから、いよいよ今回のタイトルにもなっている、阿修羅像とご対面。

阿修羅に辿り着くまでに、会場内もだいぶ引っ張るというか
期待を膨らませながら、ようやく辿り着ける・・・という演出が見事だった。


薄暗い通路を歩き、ようやくお目見えした阿修羅像は
広いスペースの真ん中に、不思議な光を放って浮かんでいた。

三つの顔に、六本の長い手
正面に立つと、こちらの心臓を射抜くように
阿修羅の瞳がわたしの内側を見つめてきた。

目があった、と思った。
激しく真っ直ぐな視線。
視線を逸らせない。

魂が宿っている、としか思えない。
すべてを見透かされているような気がした。

なんだか、阿修羅に


・・・おまえ、それでいいのか?


と、問題を突きつけられたような気がした。


六本の長い手の様子から
オーラソーマでポマンダーワークをする姿に似ている、と思った。
この世を越えたものと交信しているような・・・

存在自体が宇宙、とでもいうような。


厳しいような、凛々しいような
どこか憂いを帯びた表情に見とれて
長いことその場から離れられなかった。


今回は、横からも後ろからも
ぐるっと周って拝観できるように設置されているので
またとない機会とあってか、たくさんの人が阿修羅を取り囲んでいた。

遠くから見ると、なんとなく
アイドルのコンサートに詰め掛けるファンのようにも見えるし
阿修羅自身が、救いを求める人々を救済しているようにも見えた。

*

そんなこんなで、阿修羅展。
これほどの規模で、これほどの機会はなかなか無いはず。
生きているうちに対面できて、本当に良かった。
今回、この企画に携わった人々にもお礼を言いたい。


国立博物館の建物自体も、素敵で見応えあるし
2階の窓からは、満開の桜を楽しむこともできた。

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まるで一枚の絵のようです


  余談ですが、同じ奈良ということで
  土産コーナーになぜか「せんとくん」グッズがありました
  思わず「せんとくんて・・・」とツッコミを入れてしまひました・・・
 
*

この季節は桜もほぼ満開で
東京国立博物館内の庭園も開放されていた。

東洋館側から入ると、裏庭には緑や花々、池や茶室もあって
気持ちの良い散歩コースになっていた。

上野公園の酒盛りどんちゃん花見がちょっと苦手な方は
こちらの静かな空間で、春のお散歩を楽しんでみてもいいかも・・・♪
 


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相田みつを美術館


体調を崩して、午前中で会社を早退した木曜日。


お弁当を作ってきたんだけど、社内で食べる気にもなれず・・・
東京国際フォーラムの広場に腰掛けて、風を感じながら食べた。

頭が痛いんだから、とっとと帰ればいいのに、貧乏性なわたし。
なんか勿体ない気がして辺りを見まわすと、目の前に「相田みつを美術館」が。

無料券を持っていたことを思い出し、ふらふらと入っていった。

相田みつを美術館

この時期の企画展は、「ひとりしずか 〜 相田みつを 日めくりの世界 〜」
トイレ用の日めくりカレンダーに掲載された作品を主に展示されている。
「トイレは自分と向き合う場所」と語るみつをさん。
・・・だから「ひとりしずか」なのか。

*

この美術館が、銀座にあった頃に訪れたことがあったけど
国際フォーラムに移転してからは、初めてだった。
こんなに立派な美術館になっているとは、ちょっと驚いた。

一時期、ブームの頃に相田みつをさんの本を何冊か買って
その書や詩に感動したりしたこともあったんだけど
こうして、また作品に向き合ったのは久し振りだった。

わたしはひねくれ者なのか
一時期は、みつをさんの作品そのものが
説教くさいような・・・押し付けられているような・・・
なにかちょっと重たい気がして、遠ざけていた時期があったように思う。

今思えば、わたし自身の捉え方の問題だったのかも。


色々とこころに響く言葉があった。

作品そのものもいいけど、作品の横に添えられている解説や
作品に込められた、みつをさんの思いが綴られた言葉に感銘を受けるものが多かった。

帰りに幾つかのポストカードを買った。

7〜8年前に買ったポストカードは
一期一会のような「出逢い」のテーマだとか
「こういう人でありたい」というような内容のものが多かったけど

今回目に留まったものは
自分が具体的に行動する力、とか
苦難を乗り越えるといのちの根が深くなる、とか
涙でまなこが洗われて、目の色が深くなる、とか
そういった内容のものだった。

その時々によって、響く言葉も違ってくるんだな・・・と実感。


みつをさんの言葉を借りて言えば


 人間なんだから、つまづいたっていい
 みんなそれぞれに、ほんものなんだから
 常に感じるままに、感じて動いて
 ただひたすらに、自分の花を咲かせればいい


と、しみじみ思ったひとときだった。


ちなみに、おみくじ気分で買ったフォーチュンクッキーには

こんな言葉が。


お金かぁ・・・
うーん、ごもっとも ( ̄− ̄;)

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丸木スマ展

 
埼玉県立近代美術館で開催されている
「丸木スマ展 ~樹・花・生きものを謳う~」を観にいった。


丸木スマさんは、画家の丸木位里さんのお母さんでもあり
同じく画家の丸木俊さんの、義理のお母さんにあたる。

これまでに何度か観たことのある、位里さん俊さんの原爆の絵。

あの恐ろしく重いイメージが大きかったせいか
スマさんの絵を観る前、なんとなくどよんとした不安と緊張感があった。


ところが、会場に並んだ作品の数々は、まるで童画のように無垢で生き生きとしていて
伸びやかでユーモラスで、モチーフも生き生きと飛び跳ねているみたいだった。

たくさんの色を使って描かれているわりに、色調が落ち着いているせいか
ずっと観ていても疲れないし、むしろ独特な世界に引き込まれそうだった。

植物や動物たちのいのちの鼓動が、作品の向こうからびしびし伝わってきた。

「自画像」と題されたスマさんの、にへら~っとした笑い顔に噴き出してしまった。


童画のようなのに、すべてを計算し尽されたかのような構図やバランス感があって
美術を学んできた人には出せない味や、天賦の才能みたいなものまで感じられる。

もちろん本人のスマおばあちゃんは、そんなこと思っていなかったんだろうけど。


*

スマさんは幼少時代、ほんとにお転婆だったみたいで
寺子屋から逃げ出しては自由に野山を駆け回ったり
お尻を丸出しにして木に登っては人を笑わせたりしていたらしい。
そんな調子だから、読み書きもちゃんと習っていなかったとか。

それが、スマさんが70歳の時に、長男の嫁である丸木俊さんの勧めで
初めて絵筆を握り、思うままに描くことから思わぬ楽しさを発見したようで
晩年は 「絵を描き続けるために長生きしたい」 と話していたとか。

確かに、初期(といっても70歳!)のころの絵も魅力的だけど
歳を重ねるごとに、描き続けるごとに、どんどん絵が上達していくのが
素人のわたしでさえも見て取れる。
元々のスマさんの自由で伸びやかな作風に、さらに迫力が増し
洗練されていくのがわかる。


年表を見て初めて知ったんだけど
なんとスマさんは81歳の時に、近所の顔見知りに殺害されたそうだ。


それを知ってしまうと、なんだか複雑な気持ちになってしまったけど
それを超えてしまうほどの圧倒的な生命力を、数々の作品から受け取った。


晩年の大作に、「簪(かんざし)」という作品がある。

伸びやかに枝を伸ばした木々や青々とした葉、色とりどりの花
たくさんの鳥や虫や動物たちが集い、世界を謳い上げているような作品。

おそらく、この作品が最晩年のものに近かったんじゃないかな。

この作品に「簪(かんざし)」というタイトルをつけたのは
お嫁さんの丸木俊さんだったらしい。


  苦労して、働き通しだった母に、きらきら光る簪を贈りたい
  おばあちゃんの生涯を、きらきらした簪で飾ってあげたい
  この作品は、おばあちゃんの生涯の曼荼羅図だ


という思いを込めたんだって。

なんだかじんとくるな。

悲しい最期だったかもしれないけど、愛された人だったんだろうな。


自分の生涯の曼荼羅図かぁ・・・
どんな形であれ、誰でも自分の曼荼羅を残すために
生きているのかもしれないな。

*


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ちひろ美術館

 
先週末に、東京・石神井にある「ちひろ美術館」に行ってきた。

ちひろさんが、実際に暮らしていた跡地にある美術館。

以前行ったのは、15年くらい前だったのかな?

当時はまだ、普通の住宅に少し手を加えた程度で
子供たちの脱いだ靴が散乱している感じがまたほのぼのとしていて
美術館というよりも、絵本図書館のような雰囲気だったんだけど
今回行ってみてビックリした。

ほんとにちゃんとした美術館になっている!

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中はこじんまりとしつつも、ミュージアムショップやカフェが併設されている立派な美術館。
静かで落ち着いた空間に、展示室が数ヶ所あり
世界の絵本が楽しめる図書室や、キッズルームもあって
子供連れでも安心して楽しめる。

ちひろさんの作品の数々は、昔大好きだった絵本を思い出したり
色彩や技法や構図の素晴らしさを再認識したり
やさしいあたたかい目線で描く子供や赤ちゃんの絵に思わず微笑んだり

戦争と平和に対する強いメッセージを受け取ったりした。


カフェにはおいしそうなケーキや軽食、ドリンクメニューの数々が。

この日のわたしは、なんとなく
シンプルに信州りんごのジュースをいただく。

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ちひろさんが暮らした家の
庭の花を眺めながら、のんびりと。

風がそよそよ・・・
緑の香りが心地いいテラスで。

この日は暑くて、午前中歩き回ったから
このシンプルなジュースがやけに美味しかった!


以前の美術館の感じもよかったけど
こんな素敵な空間に生まれ変わっていたことに感動。

ちひろさんのファンらしき人も、遠方から訪れていたみたい。

ちひろさんの美術館には、感想を書くノートが置いてあるんだけど
図書室に行ってみたら、開館してからこれまでのノートが
立派に製本された状態で、すべて残されていた。
「ひとこと ふたこと みこと」 というタイトルがついていて
自由に見ることができるようになっている。

すっごい!

きっと、15年前にわたしが記した言葉も、製本されているんだろうけど
あまりに冊数が多くて探し出すのは厳しそうだったので、今回は断念・・・

*

東京・石神井の住宅街の一角にある、静かで落ち着いた美術館。

ゆっくりと絵を味わうもよし
なんとなく訪れるもよし

やさしい気持ちになれました。
 

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ME AND MY GIRL


仕事帰りに宝塚歌劇を観にいってきた。

昔から特別興味があったわけでもなく
むしろなんとなく敬遠するところがあったんだけど
たまたま身近にすごく詳しい方がいらっしゃるので
お誘いに乗ってみた。

以前なら断ったと思うけど、受け容れてみた。
なんでも覗いてみないとわからないと思ってね。


この演目は初心者でも楽しめる名作らしいので
わたしも単純に楽しめたなー
随所に笑いあり、切なくもあり
ダンスも音楽も楽しくて、あたたかな気分になる舞台だった。

役者もさることながら、舞台セット、演出、色のバランス
レビューの華やかなダンスといい・・・
これはほんとに別世界だわ。

夢を見させてくれるプロフェッショナル集団だわ。

月組娘役の彩乃かなみさんは、この舞台を最後に退団するとか。
噂には聞いていたけど、ホントにかわいくて、歌もうまい!

個人的に気になったのは、弁護士役の未沙のえるさん
存在感とコミカルな芝居にすっかりやられちゃいました(^皿^)


それにしてもいろんな名前の人がいるなぁ・・・とか
熱狂的なファンの皆様に圧倒されたりと、別の所にも感心・・・

わたしはそこまでのめり込むことはなさそうだけど
つくづく、こういう世界もあるんだなー、と・・・(゜▽゜)
世の中知らないことだらけだわ。


宝塚、どうやらいろんな意味で相当奥深いと見た。

たまにはこういうのもいいもんだね。
 

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やっぱり絵本が好き

 
先週のことだけど、絵本原画展に行ってきた。
イギリスの絵本作家、ジョン・バーニンガムの絵本原画。


いつも思うけど、絵本は原画を見ると、いろいろ発見があっておもしろい。

印刷製本されている状態ではわからないけれど
原画は厚紙が張り重ねてあったり、後から付け足して描いた跡があったり
隅々まで見過ごせないような細かいイラストやストーリーを見つけられたり
ユーモアがいっぱい。

色も美しいし、構図もモチーフも表情も・・・
どの作品も微笑まずにはいられないものばかり!
つくづく・・・素敵な絵本作家さんだわん。


美術館で洋画や日本画の展覧会にもちょこちょこ行ったりするけど
絵本の展覧会は、自分の中のドキドキワクワクが刺激されて
こころから伸び伸びと楽しくなっちゃう。


絵本原画は切り絵や貼り絵、引っかき絵、コラージュ、マンガ、刺繍に版画・・・
色んな要素が詰まっていて、ルールに縛られず、とっても自由。

切り絵とか、引っかき絵とかって
子供の頃にわたし自身が夢中で楽しんでいたことばかり。

飛び出す絵本とか、もぅ大好きで
厚紙がちぎれて壊れちゃっても
セロテープを貼って飽きずに楽しんでいたっけ・・・

*

観ている間、なにやら頭の中で何度もイルカが飛び跳ねていた。

自由で伸び伸び、楽しんでいる作り手の思いが伝わってくる。


まさにイルカのスピリット。

オーラソーマシステムのカラーで言うと、ターコイズ。

それでいて真髄をシンプルに表現しているような絵本に、やっぱり惹かれる。


会場でわたしったら、終始顔面の筋肉ゆるんじゃって、ずーっと笑顔(⌒▽⌒)

あんなに終始笑顔の展覧会って珍しいかも・・・(しかもひとりだったのに。こわ!)


正直言って、絵本でも
子供やおかあさんに媚を売ったような
売るための本みたいなものもあると思うけど

この展覧会はこころから行ってよかったなー。


絵本原画、どれも素晴らしい芸術作品。

決してこどもだましの本じゃない。
親と子のぬくもりを育んだり、想像力を育てたり。

絵本原画は鑑賞するだけでも素晴らしいものがいっぱいあると思うけど
絵本は成長期の中で繰り返し読んだり、読んでもらったりするうちに
自分だけの思い出が詰まった一冊ができあがっていく。

大人になってからページをめくっても、五感とハートに何かが響く。

そんなところも絵本の魅力。
生活芸術って感じなのかな。


絵画の展覧会も好きだけど
絵本の展覧会は、わたしにとって、より強い思い入れがある。

自分らしさを取り戻せた、ふんわり至福の時間でした。

*

関係ないけど、バーニンガムの奥様が
絵本作家のヘレン・オクセンバリーだってこと
今回初めて知りました。
 
*

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ベルト・モリゾ展

休日が気持ちよく晴れていると、やっぱり外に出たくなる。

と言うわけで、新宿の美術館へ。

以前から行きたい行きたいと思っていた「ベルト・モリゾ展」に行ってきた。


実はつい最近まで、ベルト・モリゾのことを知らなかったんだけど
絵を描いている母親からこの展覧会のことを聞き、観たくなったのだ。

1870年代のパリでは、まだまだ古典的な絵画がもてはやされた時代。
まして女性で画家を目指すことは困難な世の中だったようだ。
(女性は美大にも入れず、ヌードデッサン禁止、などなど)
才能があっても女性であるがゆえに諦めざるを得ない世の中。

そんな中で、新たな画風に取り組む画家の団体、いわゆる「印象派」の一人として
女性でありながら参加していたベルト・モリゾ。

当時の女性が主婦業と画業を両立って、すっごいことだったんだろうなー・・・


モリゾは画家マネの実弟の奥様だったこともあってか
印象派で有名なルノワールやドガ、モネたちとも交流を深め、作品に取り組んでいく。


作品は、光が溶け込んだような柔らかい色調と、伸びやかな筆使いが印象的。
女性的なあたたかさや、対象物を見つめる優しい眼差しが感じられて
観ているこちらまで、あたたかい光に包まれたようなぬくもりが伝わってくる。
鳥の声や、おしゃべりや笑い声が聞こえてきそう。
穏やかで、なんとも言えない気品が漂うのは、やはりブルジョアジーだからかしら。

特に、娘ジュリーを描いた作品は、母としての愛情が感じられる。


細部まで細かく描いていないのに、繊細さが感じられたり
細かく描ききっていない余白に、なんとなく心地よい脱力感。


やさしい気持ちになれる展覧会だった。


同時に、時代の先を行く情熱的な女性としても記憶に残った。

 

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週末、上野公園にて

今の職場に行き始めてから、初めてお休みをいただいた。

ちょうど疲れも溜まっていたし、周りの人からも
「ずっとがんばってるから、ゆっくり休みなよ」と言われていた。
この際、休んで仕事が溜まったら・・・なんてことは考えない。
なんとかなるさ。

かといって、貧乏性なわたし。
平日のよく晴れた青空を見ていたら、
のんびり家にいるのがもったいなくなってしまったので
急いでシャワーを浴び、服を着替えて
上野公園まで行ってきた。


お目当ての美術館、博物館に辿り着く前に、
上野東照宮をふらついてみたり、パンダ焼きを試食したり、動物園から出てくる幼稚園の団体さんをぼんやり見ながらほのぼのとしたりしてみる。

奏楽堂の前を通ったら、「本日は入館無料です」 との看板が。

えっ、タダ?なんで???


そう、知らなかったんだけど、5月18日って「国際博物館の日」なんだって!
それでこの日は、博物館や美術館の入館料がタダ、というところがいくつもあったのだ。
(主に常設展のみ。でもすごいよね!)
他にも先着順にプレゼントがあったり、特別映画上映があったり
いろいろと企画があったのよねん。
たまたま来たのにラッキーだ♪

現在の東京藝術大学音楽部の前身にあたる、奏楽堂。
日本最古の洋式音楽ホールとして、重要文化財に指定されている。
天井や手すりひとつにしても、扉に塗られたペンキの色にしても
現代の建築物にはないような味わいが感じられて、かえって新鮮。

かつて、日本を代表する音楽家たちが、この舞台を踏んだんだな、
と思うと、厳かな気持ちになる。
建物の中の空間に、当時の人々の夢や熱気が残っていそうで
なんとなく空間を味わいながら、ぐるりと巡る。


それから、是非行きたかった「東京藝術大学大学美術館」へ。


「パリへ - 洋画家たち百年の夢」


東京藝術大学創立120周年記念の展覧会。
新しい表現と夢を求めてパリへ渡った作家たちの作品展。
東京藝大の設立や、後進の育成に力を注いだ画家や、
東京藝大を卒業したのち、現在もパリで活躍している人々の作品など。

黒田清輝、佐伯祐三、浅井忠、藤島武二、梅原龍三郎、安井曾太郎、林武、藤田嗣治などなど・・・

魅力的な作品の数々には、異国の色を感じさせるものが多くあった。
画家がどんな思いでパリに渡り、パリに惹かれ、挑戦や葛藤を繰り返し、ひとりの人間として描き生きてきたのか、ということに思いを馳せて味わってみる。

過去を生きた様々な人によって風穴は開けられるんだよなぁ。
ひとりひとりの生って、後世にどれだけの波紋を残すんだろうか。
本人はそんなつもりなかったかもしれないけど、やっぱりすごいや。

ゆっくり味わいながら観ていたので、なかなか出口まで辿り着かず、
いざ出口が近づくと、見納めるのがもったいなくて、また逆走して気に入った絵の前まで戻ったりしてみた。

ただ、後半の現代アートの展示がイマイチわかりづらかったかな。
配置をちょっと工夫すれば、ひとつひとつの作品がもっと生きた気がするんだけど(生意気!)


とにもかくにも、いいものに触れるのは、やっぱりいい。

あ~、今日来れてよかった。見逃さないでよかった!

と、満足しながら、次なるターゲットは「国立東京博物館」

以前から「とりあえず行っとかなくちゃ!」と思ったのは、
おなじみレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「受胎告知」を観たいから。

以前、同じ会場で開催された「北斎展」が笑っちゃうほどの大混雑だったから
相当な混雑を覚悟していったのに、拍子抜けするほどスムーズに入場できた。

でも、例の「受胎告知」会場内では物々しい警備体制。
手荷物検査を終えて、薄暗い会場に入ると、すでに絵の前に行列が。


そして、わたしは自分でも意外だったんだけど
予想していたよりも、あまり感動しなかった。

確かに隅々まで細かく描かれている様は「すごい」と思ったし
なんとも言えない存在感は感じたんだけど、こころは波立たなかった。


この絵を観る前に、既に感動の作品群と対面していたせいか
どこかで比較してしまったのか・・・
いや、求めていたものであれば、それなりに感動するんだろうけど。


その時のわたしはそれよりも
警備員がいっぱいいる感じとか
たくさんの人がそれぞれに会話をしながら行列の中にいる感じとか
なかなか進まない列や立ち止まる人やらの入り組んだ感じとか
なんかそういうセッティングされた感、野次馬的な自分、みたいなものを
客観的に観てしまったようで、すでにおなかいっぱいになってしまった。

前評判とか、ネームバリューとかで
自分で勝手に盛り上がりすぎたのかも。

作品に向き合うというよりも、周りに焦点を当てていたみたい。

もしかしたら、まったく同じ絵を、旅先のとあるスペースで
何気なく観た時のほうが、思いがけない感動を呼ぶのかもしれない。
もしくは違う時に出会うと、違う感慨が湧くのかもしれない。

・・・今、書いていて思ったけど、
感動しなくちゃいけないわけじゃないから、別にいいのか(^^;


ただ、この受胎告知はわたしの好きな大天使ガブリエルが描かれているし
先日ヒーリングを受けたときに、ヒーラーが

「今、マリア様がサポートについているよ。」

と言っていたのを思い出した。
そして、皆に崇められているマリア様が、子供を産み育てたということが
今回のわたしのヒーリングにとってのメッセージになっていると。
そう思うと、少し違った気持ちで鑑賞することができた。

絵画に込められたレオナルドの技や秘密を解き明かすのは
魅力でもあるんだろうけど、今のわたしにとっては、
そういうトリックや理論はいいや、という感じだったんだと思う。
それよりハートにズキュンとくる何かを求めていたのかもしれない。

ただ、天使の羽が夢のような羽衣のようなものではなくて
リアルな鳥の羽のようだったりするのが強く印象に残った。


第二会場は、ダ・ヴィンチが残した作品展、というよりも
ダ・ヴィンチの天文学、物理学、解剖学、建築学などの
多彩な才能と研究の数々を紹介するという、体験型構成になっていた。

そっか、だから美術館じゃなくて、博物館なのか?
なんだか観光地にある「トリックアート美術館」を思い出した。
(比較するなって?・・・ごめんねダ・ヴィンチさん)

求めていた展覧会とは違ったけど、「へーなるほど」と思う発見もいろいろ。
やっぱりすごい人だよ。
頭の中はどうなっているんだろか。

人間も含めた、自然界の法則を物理学的に紐解いたり、関心することがいろいろあった。
この人は生きている間に、何を見ても疑問が湧いたり、それについて研究して発見して・・・を繰り返していたんだろうな。
宇宙の中に人間を見たり、人間の中に宇宙を見つけたり。
年表を見ると、生きていく上でなかなか順調に進まない時期もあったりしたようで
それゆえこれだけの研究や発見を生み出せたんじゃないかしら?なんて思ったりもした。

そして、彼なりの研究と確信に基づいた言葉

「魂は頭蓋骨の一点に宿る」

という言葉が気になって、思わず書き記した。


もうひとつ、彼の印象的な言葉があった。
彼は絵画について、こう語っている。

* * * * * * * 

「絵画とは、あらゆる学術の中で最上位に位置する。
 遠近法という数学的原理に則り、経験という実証を踏まえ、
 普遍的な知識の上に成り立っている。
 目で見たものを、手を使って描く。
 目を介して自然の物事が精神に繋ぎとめられ、
 手を用いて精神が描かれる、という
 ふたつのプロセスを経て絵画は完成する。
 絵画とは、精神の記述。
 それゆえ、絵画は自然界のあらゆるかたちを
 完全に模倣できるだけでなく、
 自然界には存在し得ない形態をも生み出すことが可能なのだ。」

* * * * * * * 

この言葉、感動した。
彼にとっての絵画論だけど、
ここまで完全に言葉で表現できるとは。
言い回しは難しいけど、言っていることってすごい。
目に映るものは、その人の精神を映す。
人は、目に映るものを見たいように見ている。

目を介して、内的世界を手で紡ぎ出す。
確かに神の仕事みたいだな。


それにしても、表現がこの人を物語っているなぁ、と思った。
「数学的原理」とか、「経験という実証」とか。

何より「なるほどなぁ!」と思ったのは、
ダ・ヴィンチは、絵画を「芸術」ではなくて、「学術」と表現しているところ。

わたしは絵は芸術であって、学術だと思ったことはなかった。
どちらが正しいということではなくて、これは彼なりの理論。
目からウロコだった。
感情だけでなく、でも感情でさえも物理的数学的に研究して発表している。
自分の中にはない世界観だけど、だからこそ興味も湧くってもんだ。

この人、未来からやってきた人なんじゃないか?

そんな思いを抱きながら、博物館を後にした。


その後も、入館無料だったので、国立科学博物館にも立ち寄って
気づけば終日上野公園内で過ごしていた。

お休みとってよかったわん♪

 


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ダリ回顧展来たけれど

ダリ回顧展来たけれど

予想以上の長蛇の列。
45分待ちだって。

いちおう前売り買っちゃったから来てみたんだけど
夜の待ち合わせに間に合わなくなっちゃうから断念。

なんだよもぉぉ!!!


なんか客層がかなり若いような気がするんだけど
宣伝の影響かの?


しゃーないなぁ。

上野名物?パンダ焼きでも買ってくか(^ー^)クフフ

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「受胎告知」

えっと、わたくしが告知されたわけじゃゴザイマセンヨ・・・

「受胎告知」

今朝の朝日新聞の一面を見てビックリ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「受胎告知」が
来年3月20日から開かれる特別展で公開されるらしい。
日本で初公開とのこと。

そりゃそうだ。

約140年前に、フィレンツェのウフィツィ美術館に収められて以来、一度も館外に貸し出されたことがなかったらしい。

ダ・ヴィンチに深く興味があるわけでもなく(未だにダ・ヴィンチ・コード読んでいない・・・)、ダ・ヴィンチの絵画に詳しいわけでもないけど、「うわー!やったー!」と声を出していたわたし。

この絵画はよく目にする名作だし、何といっても、わたしの好きな大天使ガブリエルが登場する絵画だから、やはり本物を観たい。
本物の前に立ちたい。
何だかわからないけど、大天使ガブリエルという名前も、メッセンジャーというお役目も好きなのだ。
オーラソーマのボトルもB95「大天使ガブリエル」はよく選ぶし、好きなボトル。
・・・といっても天使に詳しいわけではないんだけど。

大天使ガブリエルが聖母マリアにキリストを身ごもったことを告げるという「受胎告知」
わたしの中ではなんとなく、「受胎告知」というとフラ・アンジェリコのイメージが強いんだけどね。

いずれにしても楽しみだなぁ。


来春は、東京国立博物館にいくぞー!(おー!)

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日曜美術館30年展

東京藝術大学大学美術館で開催されている
「NHK日曜美術館30年展」

10月15日で終わってしまうので、朝一で行ってきた。

平日の朝でもたくさんの人で溢れていたけど、
素晴らしい作家の魅力ある作品を次々に観ることができて、興奮してしまった。

そしてこの展覧会で興味深いのは、NHKの番組「日曜美術館」の記念展ということで、過去に著名な文化人などが、作品や作家について語っていた映像を流し続けていたり、作家が実際にアトリエで制作している様子を放映しているという演出だった。

黒田清輝や田中一村、藤島武二に上村松園にルノワール、ルオーなどなど。

著名な人が語る批評がどうこうではなくて、同じ作品に対しても人によって捉え方が違うとか、作品が人の思想や人生まで影響を与えるってことが興味深い。

作品は、観る人がいてこそさらに輝きを増すのかな、と思ってみたり。
作品との出会いは、作家そのものとの出会いでもあるなぁ、と思ったり。

個人的には、棟方志功の一心不乱に版画を彫る映像にグッときた。

それから、岡本太郎の作品の前に立った時、作品からものすごいエネルギーが溢れ出してきて動けなくなってしまった。

それまでは、色合いとかあんまり好きではないなぁ、なんて生意気にも思っていたのだけど、太郎さんの作品はそういうことを越えてしまっている気がした。
絵を観る、というよりも、浴びる、という感じ。
作品からとめどなく滝のようにエネルギーが溢れてきて、

「うわっ、太郎さんがここにいる、生きている!」

と思った。
本物ってすごい。

他にも惹きつけられる作品や、一度観てみたかった作家さんの本物の作品の前に立つことができて、心底満たされた。


それに、こんな秋晴れの朝から
こんな満たされた時間を過ごせるしあわせ。

今月に入って、約二週間。
本当に恵まれた時間を過ごしております。
感謝、感謝 (^人^)

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ベトナム近代絵画展

丸の内での用事が早めに終わったので、
東京ステーションギャラリーで催されている
「ベトナム近代絵画展」に行ってみた。

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同じアジアということもあってか、なんだか作品から懐かしさが感じられた。
描かれたモチーフからは、ベトナムならではの生活や習慣のようなものが垣間見れる。
のどかな風景もあれば、兵士や爆撃、ゲリラを描いた作品もあったりした。

そして、あたりまえのことだけど、絵は紙やキャンバスだけに描くものではないんだなぁと改めて感じた。
岩や壁だって、なんだってキャンバスになるんだもんね。

今回のベトナム展の作品は、ほとんどが板か絹に描かれている。
板に描かれたものは漆絵と呼ばれるもので、表面の仕上がりがぴかぴかとしていて、見る角度によって金箔の部分が輝き、同じ作品に違う味わいが出る。

会場内のパネルによると、

  漆絵に使われる材質は石、鉱物、ガラスの破片、
  卵の殻、貝殻を粉砕したもの、金箔など
  茶系は樹液、赤系は天然石、白は卵の殻が主で、
  科学的な材料を一切使用していない。
  
とのこと。

材質が板ということもあって、乾燥には弱い素材だけれど、
ベトナムという湿度の高い風土に合っているそうだ。
その土地が生んだ芸術なんだなぁ・・・
絹に描かれた作品は、日本画のような風合いだった。

それに、わたし好みのユーモラスな版画もあって、
なんとなく立ち寄ったギャラリーだったけど、
ベトナムの空気を感じられるような、満たされた時間でした。


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北斎おそるべし

随分前から準備しておいた「北斎展」のチケット

200512041618.jpg

気がつけば12月になってしまい、行ける日がなくなってきたので、
唯一平日で夜までやっている金曜日の仕事帰りに
上野の東京国立博物館にいってきた。

しかしねぇ・・・
いや、ナメてましたよ。

確かに混雑しているって噂は聞いていたけど、
世の中は忘年会シーズンの金曜の夜だし、
そこまで混む事はないでしょう!なんて思って行ってみたら、

「入場まで50分待ち」の看板とアナウンスが・・・


 なんなの?なんでこんなにひとがぎょーさんおるん??
 そんなに宣伝してたっけか?
 数年前に池袋で観た「大北斎展」は
 ここまで混雑してなかったよ???


それでもせっかくきたから並びましたよ。
なんだかココはディズニーランドのアトラクション待ちか!?
って程の行列だったけど。

でもね、会場に入って作品を見ているうちに、
待たされたことなんか忘れちゃった。

線が生きてる。
ただ細かいだけじゃなくて、細部に至るまでいきいきしている。
1㎝位に描かれた人物にも、しっかりと命が宿っている。
その人物に骨と筋肉と、神経が張り巡らされているのが感じ取れる。
北斎が対象物を見つめる貪欲さや息づかいが伝わってくる。

同じモチーフを描くにしても、北斎の構図や視点は独特で
芸術家でもありグラフィックデザイナーのようでもあるなぁと思う。
特に今のように飛行機があったりテレビがあったり、
様々な情報やヒントがあるわけでもないのに、
上空から見下ろしたような目線なんか、神の目線のように感じた。

それから、波ひとつを描くにしても、
穏やかな波、荒れ狂う大波、それぞれに描き方も違うし、
その瞬間を切り取ったような躍動感や迫力がある。
風を描くにしても、吹き飛ばされた帽子や翻る着物の裾や、身を屈める人々の描写から、風という形のないものを見事に表現されている。
時間や空間、音までも描いている。

とにかく一つ一つの作品に目が釘付けになってしまって、
大勢の人でザワザワしているのをいいことに
「うわー、すっごーい」
とか声に出して言ったり、ため息をついたりした。

あまりにも有名な冨嶽三十六景の作品の前には
たくさんの人が群がっていた。

同じ「富士山」という対象物を描きつづけた作品群を前にして、
同じものでもこれだけ様々な顔を持っているんだと実感。
実際は全部で四十六の富士山を描いた北斎。
それを描きつづける、挑みつづける北斎の創作意欲はいったいどこから湧き出てくるのだろう・・・と絶句。

入り口にある年表を見て「あれ?」と思ったのは、
年表の始まりが、年齢五十歳以降からスタートしていたこと。

北斎が本格的に活躍を始めたのは、まさにその頃から。
有名な「冨嶽三十六景」は、なんと七十歳を越えてからの大作だったのだ。


当時の七十歳って!?

すごすぎるよ!!!

しかも、あんなに緻密な描写と細かい文字、色のバランス・・・

いったい視力いくつだったんすか!!!


それ以外に北斎漫画と言われるユーモラスな作品も残し、晩年は花鳥風月や宗教にちなんだ作品に取り組んだ北斎は、九十歳でこの世を去った。


当時の九十歳って・・・

すごいよ、北斎おそるべし。


晩年には、

 「あと十年、いや、せめて五年生かしてくれ。
   そうすれば、まことの絵描きになってみせる!」

と話していたという。

  その情熱、その執念。
  今ごろ別の絵描きに生まれ変わって
  また夢中で絵を描いているのかも。

そんなことも思ってみた、刺激的な夜でした。

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ベルナール・ビュフェ展

損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている
「ベルナール・ビュフェ」展に行ってきた。

ビュフェの絵は、一度観たら忘れないような独特な個性を感じる。
とは言っても、画集を開いたり、数枚のポストカードを持っている程度。
本物の絵の前に立つのは初めてだったので、楽しみにしていた。
そして、展覧会のポスターに書かれていた

「芸術とは、花のように絶対に必要なものだ」

という言葉にも惹かれた。

会場に入って、最初の展示室に足を踏み入れた時、
「あぁ、わたし、この人好きだ」と思った。
理屈ではなく、感覚として。
ビュフェは絵の中に黒を多く使う。直線的な黒のイメージ。
他の色も使っているけれど、やはり黒のインパクトが強いので、暗さや闇のイメージがないわけでもない。
でも、わたしにとっては、その黒になにか温かみを感じるのだ。
絶望と希望、両面を併せ持ったような。
人によって捉え方はだいぶ違うと思う。実際その展覧会に行った知り合いは、「暗くて重くて好きじゃない」と言っていた。人それぞれでいいんだと思う。

ビュフェの選ぶモチーフも、人物画のポーズも、構図も、独特な世界を創りあげていた。
色彩も、あくまでも(特に初期は)暗いトーン。豊かな鮮やかな色彩とはとても言えない。
それでもわたしは、とても惹かれた。
絵を観ていて思った。色で遊ぶ画家、それも魅力的。
ただビュフェは実際に鮮やかな色彩を使わなくても、その絵を観たわたし自身が、こころに色彩を感じている。
結局はその作品に作者の人間像や魂が感じられるか、なのかな。

人物画も風景画も、何気ないモチーフを魅力的な作品にしてしまう静物画も、どれも好きだと思った。
目で観ているというより、その絵の前に立って、その人が同じ目線でキャンバスに描いたんだという息吹を感じながら向き合うことができた。
真正面を向いているピエロの絵の前に立った時は、自分の内側の奥深いところを見透かされているような気がして、しばらく立ち止まってしまった。
そういう内面に訴えかけてくる絵を描くビュフェという人もまた、自らの内面と向き合いつづけた人なのだろう、と思う。


展覧会でははっきりと触れていなかったが、
ビュフェは自殺した。
21世紀を待たずして。

晩年は病に冒され、とうとう絵筆を握ることもできなくなってしまった。
最後に描いた絵は、来るべき死を予感させるような骸骨がモチーフになっていた。

「絵画は私の命です。
 これを取り上げてしまったら、生きていけないでしょう。」

と、話していたという。

それでも与えられた命を全うする道もあるじゃないか、絵がすべてじゃない、生きたくても生きられない人だっているんだから・・・なんて他人が簡単に言ってしまうことはできない。

描きたい思いと反比例して弱っていく体、激痛、絵筆を握ることができなくなった時に、どれほど絶望したのだろう。
想像するだけで胸が苦しくなる。

もし生まれ変われるなら、再び画家として生き、より高度な到達点を目指したい・・・と話していたという。

ストイックなフランスの画家、ベルナール・ビュフェ

彼がこの世を去っても、彼の息吹を東京で、彼の作品から感じることができた。

確実に、かつてこの世で彼が生きていた証。

芸術って、何かを創るって、やっぱり命そのものなのだろう。


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さいたさいたさくらがさいた

日本橋三越で催された「三岸節子展」に行った。
最終日だったせいか、場内は混雑していた。

以前母から「三岸節子の絵、いいわよ」
と聞かされていて、一枚のポストカードをもらったことがある。

ベニスの風景。
暗くて細い路地の隙間から、青空が覗いている。
その青が水に映った感じが、薄暗い心に差し込んだ希望の青空のようで、とても印象的だった。

わたしは絵を観に行く時、絵そのものと同時に、画家の年表や言葉、人生を綴ったパネルにも強く関心を抱く。

今回の三岸さんの絵は、繊細かつ大胆で力強く、鮮やかな色と深い闇が同居しているように感じた。
いくつかこころを捉えられる作品に出会い、何度か戻ってはその前に立ち尽くした。

三岸さんの人生は激動だった。
画家のご主人を早くに亡くし、女手一つで三人の子供を養ってきた。
生活は苦しくても画家として生きる決意をし、ひたすら描きつづける。

「ただひたすらに描くのは、しびれるような満足を得たいがためである」

節子さんにとって、描くことが生きることそのものだったのだろう。

「本物の画家になりたい」

と言ってフランスに居を定めたのは60歳を過ぎてから。
孤独に耐えながら作品を創っていたという。

そして「しびれるような美しい花の絵を描きたい」という晩年の願いの中で、93歳で描き上げた「さいたさいたさくらがさいた」という作品。

いろいろな桜の絵があると思うけど、
こんな桜の絵は見たことがない。
竜巻のような、激しく、華やかに、全身全霊で咲ききっている見事な一本の桜の樹。

一目で思った。

これは、節子さん自身だ。

翌年、節子さんは亡くなった。享年94歳。
人生の集大成として、渾身の力を込めて咲き、そして散った。

  わたしはそんな風に潔く散れるかな。
  その前に、まだ咲いてもいないけど。

惹きつけられるものの裏には、大抵ドラマがあるような気がする。
三岸節子さんという女性と、その女性が生み出した作品に触れることができてよかった。


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今日出逢った言葉

画家パウル・クレーの遺した言葉


「芸術とは、目に見えるものを写すことではない。
   目に見えないものを見えるようにすることなのだ。」


クレーの作品を思い浮かべると、納得してしまう。

ナチス政権下で「退廃美術」扱いされても、彼なりの表現をやめなかった所以がわかる気がした。

目に見えないものを、見えるようにすること・・・
なんか「神の手」みたい。

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