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August 2008

遠い国の少女へ


あんまり人に話したことがないんだけど
縁あって、とある国の少女を金銭的に支援してきた。

正確に言うと、とある国の少女と、その家族と
その家族が住む地域に使われるお金を支援してきた。


「人の役に立ちたい」 とか 「ボランティアをしたい」 とか
「世界中の貧困を今すぐなんとかしなくちゃ!」 とか
そんな強い意志があったから始めたわけではなかった。


ある日なんとなく開いてみた新聞の広告に
大写しになっていた男の子の写真が、わたしを動かした。

涙をボロボロ流して、まっすぐな瞳でこちらを見ている男の子。

雷が打たれたような衝撃を受けて、心臓の鼓動が激しくなって
気がついたら電話していた。
その日のうちに、チャイルドスポンサーになることを申し出ていた。

その協会のシステムがどうだとか、金額がどうだとか
責任がどうだとか、今、本当にすべきなのか、とか
調べたり迷ったりする余地が一切なかった。
運命に導かれたとしか思えない行動だった。

自分にとっても予想外な出来事だった。


それはちょうど、わたしが精神的にボロボロだった時期を越えて
ありとあらゆる人、物、いのちのすべてに
「ありがとう」という感謝の気持ちが溢れ出してきて
見るものすべてが輝いて、生きているしあわせをかみしめていた頃。


今にして思えば

こころのどこかで、何か恩返しがしたかったのかもしれない。


わたしがお付き合いすることになったチャイルドは、バングラデシュの幼い少女。

紹介カードに添付されていた写真は
真っ黒に日焼けして、ガリガリに痩せ細った、
それでも瞳にもの凄いパワーを宿してこちらを見つめる少女の顔だった。
彼女との関わりの、始まりだった。

*

そんなある日突然の行動から始まって
気がつけば、10年という月日が経っていた。


これまで、クリスマスカードのやりとりや、お誕生日カードを送ることはあっても
実際に現地に向かって、その少女に会うことはなかった。

プロジェクトの地域は、本当に貧しかったり、危険な地域が多いようで
個人ツアーで行くには渡航が困難だったり、ガイドがつくとしてももちろん英語だったりする。
たまに計画されるチャイルド訪問ツアーも
自分のチャイルドが住む地域を訪れる機会は、数年待ってもやってこないのが現実。

それでも気がつけば、節目の10年。
この年月の間に、スポンサーになったおかげで得たものがいっぱいある。
弱くてずるい自分と向き合い、無責任さに気づかされて唖然としたこともあった。

そこで気持ちを切り替えてからは
自分で決めて始めたからには、このプロジェクトを自分からは降りるまい、
その少女と地域が自立する日がくるまではずっと続けよう、と思わせてくれた。

*

そして、10年目の少女の誕生日。
あどけない幼子は、すっかり年頃の少女に成長していた。
節目の誕生日だったからなのか、なんなのか・・・
いつもとは違って、なぜかわたしは
手紙やシールだけで封を閉じることができずに
なにかもっと特別なものを一緒に送れないかな・・・と辺りを見回して・・・

ビーズでできた、天使のストラップを一緒に送ることにした。


それは、一見なんてことない天使のチャームなんだけど
ふたつおそろいになっていて、片方を自分の大切な人に渡す・・というものだった。

今まで、どの友達にも、身内にも、彼にもあげることができなかったものだった。

それを、なぜか会ったこともない、遠く離れたその少女に、渡そうと思った。

手元に届いて喜んでくれるといいな。

なんて思っていた。

*

けれど、その封筒を投函してから一週間程経った頃、協会の事務局から連絡があった。

10年間支援してきた少女とその家族は、暮らし向きも安定してきて
自分達で生活していける目途が立ったので、プロジェクトからはずれました。
支援はこれにて終了です。彼らの行き先はわかりません。

というような内容のものだった。


あまりに急なことで呆然とした。

あまりにもあっけなかった。


何度か事務局の人とやりとりして、誕生日カードのことを話したり
彼らの行方、手紙の行方を追ったりしたけれど
彼らの行方はおろか、わたしが出した手紙の行方もわからなくなっていた。
彼らに手紙が届かないばかりか、どこを経由したのかもわからずに
こちらに返送される宛はほぼなくなった。

悲しいけれど、これが現実。
出した手紙が紛失するなんて、他の国では・・・
ましてや情勢が混乱している地域なら、めずらしいことではないのだろう。

せっかく同封した、天使のストラップ
ソウルメイトの証、と思って入れたのに。
今頃、天使はどこかで迷子になっているはず。
なんだかさみしい結末だったな・・・

なんて思ったりしていた。

*

でも、よくよく考えてみたら

これって一番ハッピーで喜ばしい結末じゃないか。

自分達で生きていける目途が立ったなんて。
家族みんなで、新しい土地に旅立つことができたなんて。


わたしはどこかで期待していたのだろう。
ドラマのような感動の結末を。
「チャイルドスポンサーと少女の10年越の友情」だとか、「感動の対面」とか。

自分は何も求めず、使命だと思って続けてきたつもりでいた。
毎月送るこのお金は、わたしのものではなくて、バングラデシュに住む少女のものだ。
この世では、何らかの理由があって、わたしを経由して持ち主に送っているだけだと。

それでもどこかで、感謝されたがっていたのかもしれない。


最後の最後で、またまた自分というものを思い知らされたな・・・(^−^;


一度も会うことができなかったけれど
手を握ることも、抱きしめることもできなかったけれど
縁あって関係を結ぶことができたことに、ただただ「ありがとう」
たくさんのことを教えてくれて、本当に「ありがとう」

これからも、いろいろなことがあると思うけど、家族皆さん、元気でいてね。

*

次のチャイルドは、なんとまたバングラデシュの、同じ名前の少女だった。
今月からまた、彼女とのご縁が始まります。
 


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雨の月曜日


雨がしとしと、月曜日。

ここのところ、あの猛暑がウソのような涼しい日が続いております。

何も予定がない時ならば、雨降りもけっこう好き。
雨音が響く中、部屋でまったり過ごせるのって、しあわせ。

雲ひとつない晴れた日のことを、「いい天気」って、よく言うけど
その日の気分によって、雨の日の方が自分にとっては「いい天気」の時もある。


たとえば、心身共に疲れきっている時なんかは
焼けるような太陽とか、眩しいくらいの青空よりも
しとしと・・・ざざーっ・・っていう雨音や、雨のしずくが
身も心も潤してくれるような気がするし


*

  女性のストレス耐性は
  情緒的支援が十分でないと弱くなり
  自分を理解してくれる、会うと心が落ち着く
  信頼できる人がいると、強くなります

*


職場でよく配られるフリーペーパーに、そんな言葉が。

女性は特に、生理もあるし
ホルモンバランスの周期で、感情にも体調にも波があるから
気持ちを汲み取ってもらったり、ぬくもりを感じたりすることが
日々を乗り切る上で大きなパワーになるのかも。


だけど、どうやら男と女は違うようで・・・

日々感じたことや、悩んでいて聴いてもらいたいことを話していても
男性ってどこか上の空のような、空返事みたいなのをする時ってあるんだけど
よくよく突っ込んでみると、いちおう話は聴いてくれていたりするんだよね。
それはさておきって感じで、違う話に切り替えられちゃったりして・・・


自分が話したい時は喋りまくっているくせに

まったくもー!!

なんて思うときもある。


だったら、そんなに真剣に聴いてくれなくても
うんうん、と相槌を打ったり、そうだよね、大変だったね、なんて言ってくれれば
その時その時で落ち着いたり救われたりする、とも思うんだけど
何度も続けば 「実は全然聴いてくれてないじゃん、うわべだけじゃん」 って思って
かえって相手を信用できなくなっちゃいそうだし・・・

基本的に、男と女の違いなのかしら。

男側にも、いろいろ言い分あるだろうしね。


そんな中でも情緒的に支えてもらえたり
他愛もない話を聴いてもらったり
文句を言っても受け止めて(というか受け流して?)くれたり
必要な時にそばで支えてくれるのって大事。
それが実際、明日への力になっている。

やっぱりわたしも、女なのでした;;;

*

なんとなく気だるく始まった月曜日。
だけど、それに寄り添うような、静かなる雨の音色。


今日は、雨が気分を落ち着かせてくれる一日だった。
 

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812


気がつけば8月も12日まできています。


書きたいことも色々あるのに、書きかけの文章も保存したまま
内容がだんだん古くなってしまっています。


昨日は北島くんの金メダルをとったシーンを見たかったのに
帰宅したら、もうひたすら・・・眠くて・・眠く・て・・・

感動に酔いしれたいのにそのまま泥のように寝てもうたよ ( ̄○ ̄)


*

今朝、久しぶりにエンジェルカードを選んだ。

いくつか持っている中でも
いちばん小さくて、かわいくて、シンプルなもの。


今朝は、この言葉がやってきた。

812

あぁ・・・すごく思いあたる。

そうなんだよね。

他人の行動の中に、このメッセージを強く感じた。
しかも昨夜。

それは、自分に対してのメッセージだったのか。


すべては自分自身を映し出す鏡、なんだよね・・・


*


職場の昼休みに、そんなことを思うわたし。


今日のお弁当、適当に詰めてきたけど
なんだかおいしかったな。

満足、満足。


世の中、おいしいものっていっぱいあるのに
どうして手作りのお弁当ってのは不思議においしいんだろう。


はてはて ふふ~ん ♪
 

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カフェめし

カフェめし

豆腐ハンバーグも玄米も、とっても美味しかったし

食後の蜂蜜柚子酢も爽やかだったし

あー・・・満足、満足♪


心地いい空間で、心地いい音楽と、おいしいごはん。

贅沢だなぁ・・・

ほんとに、しあわせなことです。

*

今日はこれから里帰り中のお友達と、お子さんに会いに行ってきます。

わーい、こどもだ、こどもだぁー(゜▽ ゜)

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丸木スマ展

 
埼玉県立近代美術館で開催されている
「丸木スマ展 ~樹・花・生きものを謳う~」を観にいった。


丸木スマさんは、画家の丸木位里さんのお母さんでもあり
同じく画家の丸木俊さんの、義理のお母さんにあたる。

これまでに何度か観たことのある、位里さん俊さんの原爆の絵。

あの恐ろしく重いイメージが大きかったせいか
スマさんの絵を観る前、なんとなくどよんとした不安と緊張感があった。


ところが、会場に並んだ作品の数々は、まるで童画のように無垢で生き生きとしていて
伸びやかでユーモラスで、モチーフも生き生きと飛び跳ねているみたいだった。

たくさんの色を使って描かれているわりに、色調が落ち着いているせいか
ずっと観ていても疲れないし、むしろ独特な世界に引き込まれそうだった。

植物や動物たちのいのちの鼓動が、作品の向こうからびしびし伝わってきた。

「自画像」と題されたスマさんの、にへら~っとした笑い顔に噴き出してしまった。


童画のようなのに、すべてを計算し尽されたかのような構図やバランス感があって
美術を学んできた人には出せない味や、天賦の才能みたいなものまで感じられる。

もちろん本人のスマおばあちゃんは、そんなこと思っていなかったんだろうけど。


*

スマさんは幼少時代、ほんとにお転婆だったみたいで
寺子屋から逃げ出しては自由に野山を駆け回ったり
お尻を丸出しにして木に登っては人を笑わせたりしていたらしい。
そんな調子だから、読み書きもちゃんと習っていなかったとか。

それが、スマさんが70歳の時に、長男の嫁である丸木俊さんの勧めで
初めて絵筆を握り、思うままに描くことから思わぬ楽しさを発見したようで
晩年は 「絵を描き続けるために長生きしたい」 と話していたとか。

確かに、初期(といっても70歳!)のころの絵も魅力的だけど
歳を重ねるごとに、描き続けるごとに、どんどん絵が上達していくのが
素人のわたしでさえも見て取れる。
元々のスマさんの自由で伸びやかな作風に、さらに迫力が増し
洗練されていくのがわかる。


年表を見て初めて知ったんだけど
なんとスマさんは81歳の時に、近所の顔見知りに殺害されたそうだ。


それを知ってしまうと、なんだか複雑な気持ちになってしまったけど
それを超えてしまうほどの圧倒的な生命力を、数々の作品から受け取った。


晩年の大作に、「簪(かんざし)」という作品がある。

伸びやかに枝を伸ばした木々や青々とした葉、色とりどりの花
たくさんの鳥や虫や動物たちが集い、世界を謳い上げているような作品。

おそらく、この作品が最晩年のものに近かったんじゃないかな。

この作品に「簪(かんざし)」というタイトルをつけたのは
お嫁さんの丸木俊さんだったらしい。


  苦労して、働き通しだった母に、きらきら光る簪を贈りたい
  おばあちゃんの生涯を、きらきらした簪で飾ってあげたい
  この作品は、おばあちゃんの生涯の曼荼羅図だ


という思いを込めたんだって。

なんだかじんとくるな。

悲しい最期だったかもしれないけど、愛された人だったんだろうな。


自分の生涯の曼荼羅図かぁ・・・
どんな形であれ、誰でも自分の曼荼羅を残すために
生きているのかもしれないな。

*


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