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May 2005

お菓子を買うのを我慢して

今日はお花を買ってみる

367円

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だけどホントは腹へった・・・(´~`;)

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最近のハマリもの

ベジテリアのフレッシュジュース

以前はいくら美味しくても、高くてもったいないなぁ~って思っていたんだけど。

よく考えてみたら、これだけの量のいろんな野菜や果物を調達するのって、値段も手間もかかるもの。

それを手軽に摂取できる。なにより美味しい!

マンゴー好きなわたしは、迷ったらとりあえずマンゴージュース。
混ざりものがないから、からだがどんどん吸収していく。どんどん潤っていく。

最近はいろいろと試しているけど、やっぱり自然の恵みが詰まっている一杯は充実感たっぷり。

毎朝通るスタンドは、けっこう行列ができている。
わたしも朝ごはんを食べられなかった日は一杯飲んで、エネルギー補給してから、いざ出勤。

からっぽのまんま出勤するより、身も心も満たされます。

自分へのささやかな贅沢?ざます。


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これはベジテリアの「ラズベリー&レモン」

甘酸っぱくて、朝にもピッタリ
抗酸化パワーもあって、脂肪の吸収を抑えるんだって♪

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あなたはだあれ?

何度も何度も、こちらを振りかえっていた、かわいい犬。

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ほんとに何度も振り返ってた。
何度も目が合った。
じーっとわたしの方を見ていた。

たまらなくかわいい・・・
でも、すべてを悟った老賢人のようにも見えた。

吸い込まれそうな、深くてやさしい瞳。

今思い出してもドキドキする。

また会いたいよぉ・・・


横を通り過ぎるときも、
飼い主にひっぱられても、こっちに来ようとしてたけど・・・

・・・何か言いたかったのかな?

・・・つーか、あたし何かついてた???

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風薫る五月

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rose
いつの間にか、五月も半ばすぎ。

庭にも、公園にも、いろんな色の薔薇が咲いて華やかな季節になる。

色もたくさん、それぞれ名前があって、香りも違う。


・・・思えば去年の今ごろは、花の色や香りを楽しむ余裕のない状態だった。

精神的に落ちていて、そのせいか食べ物を美味しく楽しく食べることができなくなり、そのうち胃が受け付けなくなって、ジュースや果物、ヨーグルトばかり食べていた。
会社の昼ごはんも食べたいものがなくて、無理やり蕎麦やうどんを食べていた。そんな状態だから、だんだん体重も減り、やせた・・・というか、やつれていた。周りにも心配をかけた。

そのころだ。アロマテラピーの教室に通いだしたのは。
緑豊かな並木道沿いの古いビルにピンクの看板が出ていた。
少人数制で、よい香りにつつまれながら、毎回マッサージオイルやパック、バスソルトなどを作ったりした。
会社帰りにも授業の予約を入れたけれど、授業の帰りの散歩が楽しみで、敢えて土日の昼ごろに予約を入れ、ゆっくり神社まで歩いて清々しい季節を楽しんだ。
五月の眩しい日差しの中で、新緑の匂いとざわざわと風に揺れる木々の音に包まれながら、紫外線も気にせず自然の恵みをいっぱいに浴びていた。

そうしているうちに、いつの間にか癒されていた。
わたしの中の問題が解決したわけではなかったけれど、自然の力がわたしの中の生きる力を引き出してくれたんだと思う。
そのうちにだんだん食べられるようになってきた。
つくづく思った。食べないと、体力も気力も出ない。食はパワーの源だった。

当時のわたしを特に元気づけてくれた香りは「ローズ」だった。
ローズは女性の味方、と言われているけれど、わたしはあまり好きではなかった。
女性性が前面に出すぎているような気がして、甘すぎる気がした。
でも去年の今ごろは、とにかくローズの香りを嗅ぐだけで涙がでそうなほど癒された。
わたしの中の深いところからこみ上げるものがあって、全身でローズを欲した。
ローズの石鹸、ローズウォーター、ローズのハンドクリーム、色もピンクに目がいった。

つくづく、女性としての自信を失いかけていたんだと思う。

そして不思議なことに、ある程度ローズを堪能し、精神的にも回復して食欲も戻ってきたころから、自分の中のローズブームは去っていった。

不思議だけど、きっと本能的に必要なものをわかっているんだと思う。

そうやって頭ではなく、こころとからだでアロマテラピーを体感できてよかった。
まずは自分が癒されなければね。

今年は去年みたいにローズにすがる、ということはなく、純粋にローズの美しさに感動している。
一枚一枚の花びらが開いていく形の美しさ、様々な色。
女性ホルモンに働きかけるのが分かる気がする。

今こうしてローズの美しさに感動できるのも、
かつて食べることも、季節感も、日々の小さな幸せも感じ取ることができないほど弱ったからこそ。
そんな自分がローズに救われたという実感があるからこそ。

今そんな風に振り返られることを、嬉しく思う。


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「レディ・エックス」という名前の薔薇

極上の香水のような香りがします。


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風と水

とあるセミナーで、4つのエレメント(火、風、水、土)の話を聞いた。

自然界も、世の中の現象も、この4つのバランスで成り立っていると言える。

その時の話の中で、風と水の話が出た。

  4つの中で、邪気を払うものは風と水。
  良いものを運んだり、邪気を払ったり、
  物事をうまく運ぶものは、風と水。

だから「風水」なの?

確かに、風は良いものを運んだり、場の空気を一掃したりする。
星座でいうと、ふたご座・てんびん座・みずがめ座。
フットワークが軽く、情報通で、人脈も広いイメージ。
インプット、アウトプットの才能もありそう。

水も、流れに乗せて良い物を運んできたり、淀んだものを流してくれる。
星座でいうと、かに座・さそり座・うお座。
感情豊かで、記憶の星座と言われているらしい。
確かに、水は情報や想いを記憶すると言われている。
水の結晶の写真集も随分と話題になった。
水晶も、もとは水が結晶を結んで固体化したものだし。
石はとてつもない時間の記憶を持っている。

けれど、風は止まると姿を消してしまう。
髪をやさしく揺らすのも、よい香りを運ぶのも、たんぽぽの綿毛を飛ばすのも、風が動いているから。

水も同じ。
流れが止まると淀んでしまう。思いが溜まって濁ってしまう。

風通しを良くして、気持ちを流すこと。

風水の考え方って、家相だけじゃなくて、自分のあり方にも使えそうだな。

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運命のしくみ

こんな言葉に目が留まった。


「内面で向き合わなかった問題は、
    いずれ運命として出合うことになる。」

                 カール・ユング


子供のころ、あたまの中で考えていた。

何かいやなことがあったり、隠したいことがあって、いっぱい走って、逃げて逃げて、後ろをみたら誰もいない。
よし、逃げ切った!と思って良く見たら、もとの場所に戻っていた。
そうだ、地球は丸かった。

誰もいないと思ってみたら、上の方から視線を感じた。
おてんとさまが見ていた。
そうだ、いつも上から見られているんだ。おてんとさまは騙せない。

だから、親に叱られたとき、機嫌が悪かった時、乱暴な言葉を使ったり生意気な態度をとったあと、おてんとさまの視線を感じて怖くなって、こころの中でいっしょうけんめい「ごめんなさい、ごめんなさい」と唱えていたっけ。


そんなわたしも大人になった。
あの頃のように、あたりまえのことを受け容れられないときもある。

ユングの言葉は今のわたしにずしりとくる。
逃げ切ったつもりでも、過去に浮上した問題を無視すると、いつか必ず表面上の問題として現れてくる。
そこでまた逃げ切ったつもりでも、また時が経って、別のかたちで現れてくる。

運命が、追いかけてくる。

なにより逃げたつもりでいても、自分のことは騙せない。
自分のこころを騙していくと、体に出てからこころを壊す。
逃げる限り、繰り返す。スパイラル。それはきっと、宇宙の法則。
超えない限り、次のステップには進めないのだろう。

逃げるが勝ち、という時もある。
逃げることすべてが悪いとは思わない。
基準は自分に正直であること。そしてきっと、自分のしたことに責任を持つこと。

どう動くことが逃げることになるのか、今のわたしは模索中。

突き破りたい。わたしがわたしになるために。

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気がつけば3日前から

コーヒーを飲んでいなかったよ。

だいたい毎日飲んでいるのに・・・と思ったら無性に飲みたくなって、通りがかりのスタバにおります。

ついでに読みかけの本を一気に読んでしまおう。

フラペチーノのおまけを付けてもらったよ。ラッキー♪200505132058.jpg

新製品のフラペチーノ・ライトだそうです。

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ココロの言の葉

想いを言葉に置き換える。

ブログを始めて、久しぶりに文章を書く機会をもった。

わたしはけっこうマイペースでぼーっとしている。
でも、昔から色々感じやすい方だったと思う。

その場の空気とか。相手の気持ちとか。
色々感じすぎたり、気にしすぎたり、考えすぎたり、
そうすることで黙り込んでしまうところがあった。

言葉で表現するのが苦手だった。
想いを伝えることが怖かった。
相手にどう思われるか、どう思わせるか、それが怖くて、殻にとじこもってしまったりした。

特に思春期は、コンプレックスのかたまりだった。

とても感情に波があったと思うし、バランスをとるのが難しかった。

そのくせ顔に出やすいから、やっかいなこともたくさんあった。

興奮してくると身振り手振りが激しくなるし、想いを伝えるためなら言葉以外を駆使してでも相手に届けようとするもんだから、結局何を言っているのかわからなくなる。

でもなぜか、大抵相手は「もう充分伝わってきたよ」と言ってくれた。
たぶん、言葉以外の何かが届いていたんだと思う。

そんなわたしも社会にでたり、いろんなことがあったりするうちに少しずつ変わってきた。

そして今思う。

あれほど言葉で表現するのにためらっていたのは、単に若かったから、怖かったから、ということもあるだろうけど、きっと「言葉では表現し尽くせない」ということに気がついていたのかもしれない。

だからわたしは絵を描いたりピアノを弾いたり作文を書いたり、とり憑かれたように盆踊りを踊るおかしな少女だったのかもしれない。

そうすることで、言い尽くせない何かを発散させて、バランスをとっていたのかな。


こうしてパソコンに向かい、文字を重ねる。

これは言葉でありながら、口に出して話すそれとは、少し違う。

こころの声、なのかな。
画面に向かっている時、とてもこころはしんとしている。
むりやり文字を絞り出すでもなく、手が勝手に動いている。
手とこころが連動している。

ブログは今のわたしにとって、こころの体操なのかな。
画面に向かっていながら、わたしは自分と向き合っている。
放っておいたら滞ってしまいそうなこころを解放してあげる時間。

そして、こんなわたしのつぶやきを、どこかで読んでくれる人がいる。

こうして繋がることも、出逢いです。読んでくれてありがとう。

つるこのたわごとでした。

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新しい瞬間

最近思っていたこと。

いのちあるものには、平等に死が訪れる。

そして、いつかその日が来ることを、とてつもなく恐ろしく感じたりもする。

けれど毎晩眠りについてから、次の日の朝にかならず目が覚める保証はどこにもない。

泣きながら眠る夜もある。
いろんな思考に囚われて眠りにつけない夜もある。
なんにも考えずに泥のように眠りにつく夜もある。

それでも朝がやってくる。少なくとも、今朝までそうだった。

  気がつけば そうやって
  毎日夜眠るということで
  一度「死」を体験して
  朝 目が覚めるその時に
  また新しい瞬間に生まれている

毎日生まれ変わっている。
今日という日は昨日のつづき、そして明日へと繋がる道。

それでも、
眠ることで魂は体を離れ、ふるさとへ帰っているような気がする。
この世での肩書きも、役割も、性別も関係なく、
いろんなしがらみから解放される唯一自由な時間なんじゃないかな。
だって、どんなに気難しそうな人だって、うんと年取った人だって、
眠っている時は大口あけて、無防備で、こどもみたいな顔をしているはず。

起きている間のいろんなことを、整理するための時間。
忘れていたことや、大事なメッセージを受け取ることができる時間。
夢を見るのも、起きてからどう動けばいいのかを、それとなく伝えてくれているのかも。

そしてわたしは今日も眠る。

明日もいい朝が迎えられますように。

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シブい蕎麦屋にて。

シブい蕎麦屋にて。

あえて湯豆腐と書かないところがステキです。


そして店の入り口に飾ってありました。


・・・おぶじぇ?

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さいたさいたさくらがさいた

日本橋三越で催された「三岸節子展」に行った。
最終日だったせいか、場内は混雑していた。

以前母から「三岸節子の絵、いいわよ」
と聞かされていて、一枚のポストカードをもらったことがある。

ベニスの風景。
暗くて細い路地の隙間から、青空が覗いている。
その青が水に映った感じが、薄暗い心に差し込んだ希望の青空のようで、とても印象的だった。

わたしは絵を観に行く時、絵そのものと同時に、画家の年表や言葉、人生を綴ったパネルにも強く関心を抱く。

今回の三岸さんの絵は、繊細かつ大胆で力強く、鮮やかな色と深い闇が同居しているように感じた。
いくつかこころを捉えられる作品に出会い、何度か戻ってはその前に立ち尽くした。

三岸さんの人生は激動だった。
画家のご主人を早くに亡くし、女手一つで三人の子供を養ってきた。
生活は苦しくても画家として生きる決意をし、ひたすら描きつづける。

「ただひたすらに描くのは、しびれるような満足を得たいがためである」

節子さんにとって、描くことが生きることそのものだったのだろう。

「本物の画家になりたい」

と言ってフランスに居を定めたのは60歳を過ぎてから。
孤独に耐えながら作品を創っていたという。

そして「しびれるような美しい花の絵を描きたい」という晩年の願いの中で、93歳で描き上げた「さいたさいたさくらがさいた」という作品。

いろいろな桜の絵があると思うけど、
こんな桜の絵は見たことがない。
竜巻のような、激しく、華やかに、全身全霊で咲ききっている見事な一本の桜の樹。

一目で思った。

これは、節子さん自身だ。

翌年、節子さんは亡くなった。享年94歳。
人生の集大成として、渾身の力を込めて咲き、そして散った。

  わたしはそんな風に潔く散れるかな。
  その前に、まだ咲いてもいないけど。

惹きつけられるものの裏には、大抵ドラマがあるような気がする。
三岸節子さんという女性と、その女性が生み出した作品に触れることができてよかった。


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その時なにができるか

JR福知山線の脱線事故。

日が経つにつれて、新たな事実や悲しみが表面化している。

亡くなった方の数だけの人生があり、
その方と関わってきた人の数だけの悲しみがあり、
それをニュースで見る人の数だけの思いがある。

改めて、人の命の尊さを思うとともに、はかなさも感じる。
今日が無事に終わって、また明日がやってくるということが、
実は奇跡みたいなことなんだと痛感させられる。

そんな中、ある会社がクローズアップされていた。
事故現場の近くの会社の社員が、
事故発生直後に「ただ事ではない」と判断して、
自分達の仕事の手を止め、
ありったけの消火器や器具を持ち込み、
社員の大多数が現場に駆けつけ、救助活動にあたったのだ。

尼崎ということもあり、阪神大震災の教訓がそうさせたのだ、と安全管理担当者は話していた。
気がついたら体が勝手に動いていたという。
ニュースで何度も映る映像の中で、確かにグレーの作業服姿の人たちが救助活動をしていた。
それがまさか、たまたま近くにある会社の社員達だとは思わなかった。

それにしても、そのとっさの判断と行動力はすばらしいと思う。
誰もができることではないと思う。
自分の利益ばかりを考えている企業には
「自分たちの仕事の手を止めて、大多数の社員が駆けつける」
なんてことはできないだろう。

起業家によってはいろいろな動機があると思うけど、
世の中の役に立とう、恩返しをしよう、という気持ちが、
常日頃から、この会社のトップにはあるのだろう。

資格や肩書きは、その人のがんばりを評価する目安にはなる。
けれど、実際に判断して動くということをしなければ、
この国でも、よその国でも役立たずになってしまうんだと思う。

そんな大切な事を、日本スピンドルという会社に教えられた。


そしてテレビを見ていて、また色が浮かんできた。
彼らの冷静な判断(ブルー)と、抜群の行動力(レッド)が、
たくさんの人々を救った。
その奉仕の精神は、まさにヴァイオレット。

ブルーとレッドを混ぜてできる色、ヴァイオレット。

奉仕の色。癒しの色。
彼らに敬意を表したい。


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